※このプレイ日記は2014年7月22日に後援者のぼーぱるばにーさんが製作したものです。




第1150弾





提督の決断W












皆さんの中でミリタリーに興味がない方は、「戦艦」と聞くと、どう思いますか?


「今でも海軍の主力は戦艦」 「軍艦は全部戦艦」 「大和しか知らない」


こんなところでしょうか。

今回はこの場をお借りして、戦艦というものについて少々説明しようと思います。


なおこのプレイ日記は私の今までに学習した知識に基づいて作成されております。

某映画連合艦隊好きの後援者様や、某腹黒軍師様から見て可笑しいところがありましたら、

生暖かく見守っていただけたら幸いです。








戦艦の始まりは古代ギリシャにさかのぼります。

当時の戦艦は「三段櫂船」と呼ばれるガレー船でした。











オールが三段になっているので三段櫂船です。こぎ手は奴隷が勤めます。

武装は艦首に装備された衝角(ラム)です。体当たりし、敵艦に穴を開け撃沈します。

またはすれ違いざまに相手のオールをへし折って航行不能にします。


このガレー船や類似の艦船を主力として、しばらく戦いました。

その間に帆が三本になったり四本になったり、武装が弓矢になったりしました。

そして時は経ち近代に入ってから、画期的な武装が発明されました。












大砲(カノン)です。

この大砲を装備した軍艦が多数建造されました。

その中でもっとも大きく、また大量の大砲を積んだのが「戦列艦」です。











代表例 「ヴィクトリー号」


ナポレオン戦争時にネルソン提督が乗艦し、トラファルガーの海戦に勝利した歴史的な艦。

1765年進水。ポーツマス軍港に永久保存されている、英国海軍の現役艦です。





この戦列艦は大小合わせて約100門の砲を搭載した海軍の主力です。

とはいえ、戦列艦は大きく機動性がなく、速力も大して速くありませんでした。

そのためは一回り小型で機動性がよく、速力に優れた「フリゲート艦」や、フリゲートよりも

小型の「スループ」や「コルベット」も建造していました。。







代表例 コンスティチューション


米海軍が建造したフリゲート艦。現在も航行可能状態にある最古の艦にして、アメリカ海軍

の現役艦。1797年進水。

この大を中・小の軍艦が補助するスタイルは現在も変わっていません。

「海軍の船は全部戦艦」はこの時点で誤りです。

フリゲート艦はその後巡洋艦として発展しました。



話を戻しましょう。戦列艦は1600年代〜1850年頃まで使用されていましたが、

その間に世界史における重要な出来事がありました。










産業革命です。


これにより船舶用の蒸気機関が開発され、帆走の時代から機走の時代に入ります。

この時期には、木造蒸気推進というハイブリッドな戦列艦もありました。

また鉄鋼生産量が跳ね上がり、艦船に装甲を施すようになりました。

その最初の艦が、フランス海軍の建造した「ラ・グロワール級装甲艦」です。










この装甲艦の登場で、戦列艦の時代は終わりを迎えます。

装甲艦の防御力の前には、木造軍艦では到底対抗出来ませんでした。

(木造軍艦では、体当たりしたとしても艦首が砕けてしまう。)



このころから、武装の仕方も変化しました。

戦列艦の時代は甲板上の帆走設備の破壊や、乗員の殺傷を狙って大量の砲を搭載していました。

しかし装甲艦は今までよりもはるかに頑丈で、機関を搭載しており、今までのような

小口径砲では撃沈できませんでした。

そこで大きな大砲を数門積み、補助用に小さい砲を積むスタイルになりました。

英国海軍は前述のラ・グロワールに対抗して、英海軍初の装甲艦である「ウォーリア」

を建造し、その後1890年代に入り「ロイヤル・サブリン級戦艦」を建造します。










一気に近代的になりましたね。

このロイヤル・サブリンは最新式の34.3cm後装砲式旋条砲を連装2基4門装備し、

厚い装甲を施していました。

ロイヤル・サブリン級で、近代戦艦のスタイルは確立されました。

そして、ロイヤル・ソブリン級を原型として、日本海軍の富士型戦艦は建造されました。









戦艦富士



30センチ40口径連装砲2基4門(ロイヤル・サブリン級より口径は小さいが、40口径と

長砲身であり装薬、炸薬の高性能化により、より高性能です。)

15cm砲10門その他小口径砲搭載。最大速力18ノット。

この戦艦富士や、改良型の三笠などは日露戦争(1904年〜1905年)の全期間を通して活躍しました。



日露戦争後、英・米・日・独・仏などで盛んに戦艦が作られました。

日本海海戦の結果、強力な戦艦を持つ国が勝利することが認識されたためです。



しかし各国が建造しているこれらの戦艦が、一気に旧式化してしまう一大事が起こりました。

英国が新技術を惜しみなく投入した








ドレッドノートの登場です。


このドレッドノートは戦艦で初めて蒸気タービンを搭載しており、

蒸気タービンは今までのレシプロ機関より軽量で、はるかに高速力が出せました。

(今までの戦艦は大体18ノットでしたが、ドレッドノートは21ノット。)

また、機関が軽量化されたことにより、今までの戦艦の倍以上の10門もの

主砲を搭載できました。


口径も45口径で射程距離も長く、今までの戦艦では到底太刀打ちできません。

今までの戦艦は18ノットであり、逃げられたら追いつけませんし、

逃げても追いつかれてしまいます。

そして、このドレッドノートと同等の武装を装備し、装甲を薄くし、

さらに高速化した「インヴィンシブル級巡洋戦艦」も建造されました。


各国は衝撃を受け、このドレッドノートとインヴィンシブルと

同等の戦艦、巡洋戦艦を建造しました。

日本の河内型、ドイツのナッソウ級、フランス海軍のクールベ級などです。

これらの戦艦を総称して日本ではドレッドノートの頭の一文字であるドを取り、

「弩級戦艦」(ド級戦艦)といいます。そして弩級戦艦誕生以前に建造されていた

ロイヤル・ソブリンを始祖とする戦艦群を「前弩級戦艦」と呼びます。

様々な国がこの弩級戦艦を建造しました。また前述の列強の他に、

アルゼンチンやチリなどの国も、英・独などから輸入していました。

しかし、イギリスはさらに先を行っていました。



当時の弩級戦艦の砲の配置は











大体このようになっていました。


敵が右から来ても左から来ても戦えるように、また片舷に全砲を向けられる

ように工夫していました。

しかし運用してみて欠点も見つかりました。中央の砲の死角が大きすぎます。

それに、敵が両側から襲ってくる状況などそうありません。

そこで英海軍は全ての砲を船体の中心線上に集めた画期的な戦艦を開発します。










オライオン級戦艦です。










このように、全ての砲を中心線上に集め、又その砲も今までの30.5cmから

一気に34.3cm砲に拡大されており、英国の新聞は「スーパードレッドノートクラス」

と称しました。つまり

「超弩級戦艦」の誕生です。









超弩級戦艦の代表例、クイーン・エリザベス級戦艦。

オライオン級でドイツ海軍に差をつけた英海軍が、さらなる布石として建造した

超弩級戦艦。建造当時世界最大の38.1cm砲を装備し、巡洋戦艦並みの25ノットを発揮する

高速戦艦でした。


弩級戦艦の誕生以来、敵対関係にあったイギリス、ドイツは熾烈な建艦競争を

繰り広げていました。

その両海軍が第一次世界大戦中に激突したのが、「ジュットランド海戦」です。



英軍151隻、独軍99隻の大艦隊が激突した、史上最大で最後の艦隊決戦です。


この戦闘で、英海軍は巡洋戦艦三隻爆沈を初めとする被害を受けました。

独海軍は巡洋戦艦1沈没、前弩級戦艦一隻沈没他多数沈没でした。



このジュットランド海戦で、戦艦という物の問題点が浮き彫りになりました。

戦艦は速力が遅く、高速の巡洋戦艦しか前線で戦えませんでした。

(例外としてクイーン・エリザベス級戦艦のみ25ノットの高速を出せたため、

巡洋戦艦と共に行動し、大活躍した。)

また英国の巡洋戦艦はドイツの巡洋戦艦よりも装甲が薄く、三隻も弾薬庫に引火、

轟沈してしまいました。これに対しドイツの巡洋戦艦ザイドリッツは、38.1cm砲弾を含む

20発以上の直撃弾を受けながらも沈没を免れ母港に帰還しました。








爆沈する英海軍最新の巡洋戦艦クイーン・メリー。

同艦に乗艦していた日本海軍の観戦武官も戦死している。




海戦後の検証により英国の巡洋戦艦の装甲が薄かった事の他に、

他の戦艦も甲板上の装甲の薄さが問題になりました。

砲戦距離が遠距離になるほど砲弾は大角度で飛んで来ることに、

各国共に気付いていなかったのです。




そこで既存の戦艦の装甲強化を図るとともに、ジュットランド海戦の反省を取り入れた

新戦艦である「ポスト・ジュットランド型」戦艦が建造されました。

第二次世界大戦で主に活動したのは、超弩級戦艦とこのポスト・ジュットランド型になります。










 

代表例、戦艦長門、及び大和。


長門は1920年就役。世界最大の41cm砲を装備していました。

第一次世界大戦後の軍縮条約により、40cm以上の砲を装備していた戦艦は英・米・日に

七隻しかなく、同型艦の陸奥や英・米の艦と共に「ビッグ・セブン」と呼ばれていました。


大和は皆さんご存知の超戦艦。

史上最大の46cm砲を装備し、戦艦としては高速の27ノットで航走できます。

同型艦に「武蔵」がありました。


いまさらですが、戦艦は大和だけじゃないんですよ。





さてここまで戦艦の歴史について記述してきましたが、

2014年現在、戦艦を使用している国は

全世界のどこにもありません。






理由はいくつかあります。



@高速で飛び回り、魚雷や爆弾(現代であれば対艦ミサイル、誘導爆弾)

で攻撃してくる航空機に対して無力。



A潜水艦に弱い



B水上艦艇及び沿岸部しか攻撃出来ない。



C維持費が高い

(巨体を動かすため燃費が悪く、約3000人の乗員の人件費も高い。)







上記の理由により、対艦・対地・対空・対潜全てに対応できる

ミサイル巡洋艦、ミサイル駆逐艦、イージス艦が世界の海軍の主力になっています。

また資金に余裕のある国は空母の護衛にミサイル艦を配置し、

空母打撃群を構成しています。




さて、ここまでの内容をもとにしてPART2に続きます。




PartAへ


TOPへ戻る